人間の形をしたロボットに告ぐ

私は漫才師だ。生まれながらの。誰かに認知されて貰う必要はない。誰かに認知されてもらうまでもなく私は漫才師であるからだ。
私の漫才を見て、アドバイスをしてくる人がいる。そういうのってやめたほうがいいのではないでしょうか?
相手のためを思ってより良くなると思って純粋な親切心からなされたものだという事はとてもよくわかりますし、その気持ちに対してはとても嬉しく、感謝します。
親切心で本当に思ったことを言っているのだと思うのだけれど、アドバイスというのは往々にしてナンセンスなものです。我々は生きていく中でいろいろな経験をし、いろいろなことを思い、考えます。その積み重ねの果てに今の私というものが構築されているのでありますから、人から何か教訓めいたことを(親切心からのアドバイスもそうですが、)他人に言うことは誰の徳にもならない行為であると私は思います。こうしたほうがいいよ、そうだね、となりますでしょうか?
そもそもアドバイスというのはより良くするために相手に言う良いことのように感じられる方も多いと思いますが、私は逆でどちらかというと悪いことのように思います。なぜなら、改善を相手に強いるところがありますので、いままでのその人のある部分を否定することになっているからです。何が正しくて何が悪いかという絶対的な判断など存在しません。否定され、否定され、その積み重ねの果てにどんな人間が形成されると思いますか?それは大企業の古株社員のような人間です。なんの魅力も面白みもないただの人間の形をしたロボットです。
否定をすることは誰でもできるのだ。
音楽もそう。私は「神聖かまってちゃん」というバンドが大好きです。最高レベルのミュージシャンです。彼らは自ら作った音楽をネット上にうpしております。PVもうpされている曲もあります。PVの元となる動画は親父さんに撮ってもらっているそう。全て自分たちで作っているのです。
彼らはメジャーデビューしてCDを出しました。しかしCDの音源よりネット上にうpされているもののほうが心が揺さぶられるのです。やはりメジャー化するとなると創りだされた作品は「洗練された」音楽に成り下がってしまうのです。こうしたほうがいいよ、ああしたほうがいいよ、の積み重ねの結果があのCDでありましょう。
私は人を否定することができなくなってしまいました。何が正しくて何が悪いことなのかは誰にもわかりませんし、僕にもわかりません。しかし私には私の考えがあります。私はそれが正しいと思って生きています。また別の人には別の考えがあるでしょう。私にはそれを否定することはできません。
会社で上司が自分の価値観を押し付けてきます。私はそれがたまらなく嫌です。だから私は会社で上司に言われたことはすべて聞いていません。聞いているふりをしています。
だってあなたの言われたとおりにした結果があなたみたいな人間なのでしょう?私はあなたからは全く魅力が感じられません。くだらないつまらない大人だと思いました。
部長とか偉い人にペコペコして飲み会の席でも「空気を読んで」行動してるあなたを見て、気の毒に思います。あなたは犠牲者です。

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