父親

私は一年ぶりに実家に帰った。私が居ない間に実家は引っ越していたから、最寄り駅であるN駅に降り立ったのは初めてのことだった。駅はうら寂しい様子で、小さな東急ストアとコンビニがあるくらいであった。比較的新しく作られた街であるようなのだが、それでもすり切れた印象を私に与える場所だった。居心地の悪さを感じつつ私は父親が来るまでその辺を散策して見ることにした。

東急ストアに入ってすぐ前方から父親かどうか判断は出来かねるがしかしその面影もないではない老人が歩いてきたので、私は驚きながらも、あ、と声を出してしまった。その老人は私には目もくれずに歩き去ってしまった。私は安堵した。なぜなら一年顔を見なかったとはいえ、あまりにも老けこんでおり、シワも病的にたれさがり、死が迫っていることを予感させる不吉な顔をしていたからだった。

コンビニで雑誌を捲っていると一年前とそう変わらぬ姿の父親が駅の方へ歩いて行くのが見えたので駅の方へ行った。

父親は私が想像していたよりも元気そうであった。

私は父親と本音で会話したことが一度もない。本音で会話しようと思ってもそれは無理なのだ。私の方はまず父親と本音をぶつけるという気が起きない。仮に話し始めたとしても、私は自分の言葉が、感情が、彼には届かないということを経験的に分かっているのかもしれない。私の発した言葉などが彼に届いたと思った経験が私にはないのだ。

逆に彼の言っていることが私の心を揺さぶったことも一度としてない。彼の感情が私に伝わり共振した経験が全くない。わたしは今でも父親という人間がよくわからない。不可解で不気味だと感じる。別に悪い人間ではないと思うし、長生きしてもらいたいとは思っている。

私は彼が友人と遊んだという話を一度として聞いたことがない。仕事仲間と飲みに行ったこともないだろう。いつも家に帰ってきて、酒を飲む。彼は趣味を持たない。暇を持て余すとテレビをボーっと眺めるか、新聞を広げるか散歩に出かけるかだ。彼は一体何をしている時が楽しいのだろうか?

私が彼を見ていて思うことは彼はいつも孤独だということだ。家族はたしかに周りにいる。だけど私にはそれでも彼は完全に孤独に思える。彼の話は私を揺さぶらない。彼の言葉はNHKの毎日のありふれたニュースを単調に読み上げる音声と変わらない。そして私の言葉も彼には全く届かない。彼が話す言葉は誰にも届かないし、彼の周りの人間が発する何かも彼には届かない。彼は完全なる孤独に包まれた人間だ。

私は本当の孤独というものを父親に見出した。

彼は私の知らない秘密を抱えているに違いないと思う。高校の修学旅行でパスポートが必要になり、そのために戸籍謄本を母親に採ってきてくれるよう頼んだ時のこと。その日学校から帰ると階段の三段目にそれが置いてあった。すると私の知らない名前がひとつ混ざっているのを認めた。私は二階に上がって、誰だこいつは、と思っていたがしばらくして母親が部屋に入ってきたので、尋ねてみた。すると父親は私の母親とは再婚であり、その知らぬ名前の子は貰ってきた子で、名前だけつけたのだという。そっか、私がそう言って話は終わった。母親が出ていったあと、なぜだか知らないが、悲しみも怒りも抱いていない私の目から涙が流れていてビックリした。

何故高校生である今までそのことを知らされて来なかったのだろうか。

彼の過去に何があったのか、私は何もわからない。だが、過去に何かが彼の身に起こって、それらが今の彼を形成していることは間違いないようだ。

彼は何故こんなにまで孤独なのか、彼はいつか話してくれるのだろうか?いや話すことはないだろう。彼は何も私に投げかけることが出来ずに、また私や私の家族や、彼の周りの人間も彼には何も伝えることが出来ずに、彼は完全な孤独の内に一生を終えるのだろう。

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