松坂牛を黒こげにして食べていた小学生

約一年ぶりに再会した知人の幾人かに痩せたかと問われた。先日の健康診断で確かに2キロ落ちていたから彼らの指摘は外れていなかった。その場は冗談の面で覆った楽しげな会話で終始した。しかし、毎日少しずつ変わっていった私の変貌を一年前のそれと単純に比較できた彼らの目は、私に何か病的なものを見出したのではあるまいかと、疑った。
新宿の歌舞伎町で友人たちと並んで歩いている内、キャッチに話しかけられた折に、相手を馬鹿にした態度で応対し、友人たちをヒヤヒヤさせたことがあったが、私は全く恐怖を感じていなかった。今では恐ろしくて話しかけられただけでも逃げ出してしまうだろう。
また、満員電車の中で無言で人を押しのけるジジイに向って押すなと絡んだのも一年以上前の私だった。もし反撃されたらどうするのだという今の私の中に当然に浮かぶ心配は当時の私には全く無かった。
その時分と今の間に私を変えてしまうような事件が特に発生したということは無い。しかしなぜ私の目には明らかな様に変わってしまったのだろう。
私は元来神経質な人間なのだと今、認めることができる。母親に何となく言われたその言葉を私は嫌った。神経質と言われるのが嫌で、わざと大雑把な振る舞いをしたり、小さなことは気にしない風を装ったりした。だが装ったとて本質が変わるわけもなくただ自分を、周りを騙していたにすぎなかった。
この年になり自分をまた違った風に見られる様になり、その私の元来の性質の一つは認めるに至った。
中学生の時分に、風が吹いて、せっかく整えた髪が滅茶苦茶になった後、風に対して暴言を吐いたという話を友人にして笑い合ったあの記憶も根の部分は変わっていないことを私に突きつけてき、ゾッとする。
神経の鋭敏さが最近はずっと鋭い状態が続いているだけなのだろうか?
ただただ嵐が過ぎ行くのを待つごとく日々を静かに過ごす他無いのだろうか?

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